サマリの食糧調達の「心当たり」は女将の食堂だった。
まだ仕込みの時間で、表には客はいない。一人食堂の裏口へまわると、中からは準備をするガチャガチャした音と、人の気配、そしていい匂いが流れてくる。
(この匂い、あのスープだわ。サーリーは今日もいるのかしら)
そんな事を考えながらドアノブに手をかけて深呼吸をする。
「こんにちは!おばさん、サマリよ!」
少しだけドアを引いて中を覗こうとすると、バタバタとこちらへ向かってくる足音と共にドアが大きく開き、思わずサマリは手を引っ込めた。目の前に、数日ぶりに会うサーリーがサマリを見下ろしていた。
「おぅ!は、入れよ」
ドアの開く音と勢いに飲まれ、サマリはサーリーを凝視した。何も気の利いた言葉が出てこない。
「こ、こんにちは・・・」
ほんの一瞬、見つめあっただろうか。けれど
サーリーはすぐに視線を外し、後ろからきた女将とすれ違うように奥へ行ってしまった。
「おや、サマリちゃん、また仕事しに来たのかい?あんたなら歓迎だよ」
女将は相変わらず若作りで年齢不詳である。
厨房の端に案内される途中にも、サマリが手短に要件を告げると、女将は大喜びで帳簿を手に取った。
「3日後にその馬車へ積めば良いんだね?良い儲け話じゃないか!しかも前金だって?」
さらにテーブルの椅子を勧められ、あれこれ細かい話を詰めていると、奥からサーリーが手に器を一つ持って戻ってきた。
「・・飲んで行けよ」
ぶっきらぼうにサマリの目の前に突き出された器には、あのスープが注がれていた。
素直に受け取って一口飲むと、優しい味が喉を通り過ぎていく。
「美味しい・・・」
その姿を眺めているサーリーの表情が優しい。
女将はニヤニヤと深みのある笑いを噛み殺しながら、
「なんだい、安心しきった顔をして。この数日のあんたの落ち着きの無さったら無かったね。そういう事なのかい?」
とサーリーを揶揄した。
「な、なんのことだよっ」
サーリーはまたもや慌てて厨房のある奥へと戻っていく。女将は、その姿を見送ると、独り言のようなフリをしてサマリに目配せした。
「あの子は昔っから世話焼きでね、よく近所のお腹を空かせた子を連れて来たもんさ。でもサマリちゃん、あんたが居なくなった後のあの子の寂しそうな様子は見ちゃ居られなかったさ」
サマリは顔が真っ赤になる自分がわかって思い切り俯いた。奥から、女将に向けてサーリーの怒鳴り声が聞こえる。
「女将ー!変な事言うなよ!」
女将が豪快に笑い始め、俯いていたサマリもつられて笑ってしまう。こんなに笑ったのは久しぶりだ。この心地よい場所をすぐに離れなければならない事が、残念で仕方がなかった。
🌹
昼をだいぶ過ぎても、マッカの中央を貫く通りの両側は人でごった返していた。様々な人種が当たり前のように通りを闊歩している。サマリとサーリーは、女将に言い付けられた通り、卸業者の入る市場へ向かっていた。
サーリーは慣れた身のこなしでスイスイと進んでいく。その後ろに出来た隙間を、サマリは必死についていく。体力も運動神経も自信はあるが、こんな大勢の人間に慣れていないサマリは人混みに酔い、サーリーの背中を見失いそうになった。
「神殿での用事ってのは済んだのか?」
そう言って急に話かけて来たサーリーは、少し乱暴にサマリの手を取った。
「う、うん・・・え?」
迷わないようにという配慮なのだろうが、サマリの目線は手に釘付けになった。
自分はどうしてしまったのか、心臓の鼓動が跳ね上がる。何故こんなに良くしてくれるのか、その理由を訊きたかった。
ごろつきから助けてくれようと走って来たあの時から、サーリーはずっとサマリに親切にしてくれて、仕事の合間にはおしゃべりも沢山した。なのに再会したサーリーは、何故だかぶっきらぼうで、サマリは少し戸惑っていた。
もうサーリーのスープが飲めなくなるのかと思うと、無性に悲しくて仕方がないけれど、自分はそんなに食い意地のはった人間だったかなと疑問にも思う。
卸市場に到着したサーリーは、女将に言われた通りの食材を吟味し始める。サマリは代金の支払い係だ。
そこでテキパキと動くサーリーの後ろ姿をぼんやり眺めていると、一緒に働いた二日間の事を思い出す。村では感じたことのない解放感と、充実感。サマリは一人の普通の人間として扱われ、孤児というレッテルさえ忘れられた。何より自分に向けられるサーリーの優しい眼差しは、長老やナージフのものと違うように思えた。
サマリには為すべき事があり、今は余計なことを考えてはいけないとわかっているのに、気がつくと心の何処かでサーリーの事を考えていた。
この気持ちに名前があるのなら、誰かに教えて欲しかった。
もう、お別れなのに。
今晩、この街を旅立つのに。
続く