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マッカの街は今日も早くから賑わい、人で溢れている。
少しでも涼しい時間帯に一通りの支度をして、茹だるような昼の暑さに備えるのだ。
いつもと同じような顔ぶれの近所の人達が、仕入れや仕込みの為にあくせくと動いている。新鮮な果物を売る屋台の客引きの声、手軽に食べられる肉の串焼きの焼ける匂い、重なり合う天幕の隙間からは幾つもの雲が急ぎ足で流れ違う表情を見せる。
往来をすれ違う人々の間から、フワッとした金の巻き毛が見えたような気がして、サーリーは慌てて大荷物を抱えたまま振り返る。
急な動きに周りは驚いて「あぶねぇだろ!」と怒声を浴びせた。
サーリーはそれには反応もせず、視線は雑踏の奥を見つめていた。
「サーリー、もう今日は三回目だぞ。ここ数日、何をそんなにキョロキョロしてる?」
隣を歩く父親はそう言って呆れた顔をし、重そうな胸元の布袋を抱え直した。
「いや、別に」
何事も無かったように振る舞い、再び歩き始めたサーリーだったが、やはり心ここに在らずだ。
サーリー親子とすれ違う人の中には「おぅ!バンダル、すっかり元気になったじゃねぇか!」と嬉しい声をかけてくれる者もいた。ここ数年身体中の関節が痛むと言って店でただ座っていたサーリーの父親バンダルは、この数日で急に元気になり、新しい商品の仕入れに意欲を出し始め、今も重たい荷物を嫌がりもせずに持っている。
「うちに、女神様がいらっしゃったのさ」
その返事に興味を惹かれたのか、数人の視線を集めるも、サーリーはギュッとバンダルの腕を掴んで足ばやに歩き始める。
「親父、行こうぜ」
バンダルは残念そうに息子の後をついて帰路に着く。
「お前も、女神様を探して居たんだろう?」
と、バンダルは仏頂面の息子に訊ねた。
家の近くまで来て人がまばらになるとようやくサーリーは口を開いた。
「女神じゃないだろ、サマリは。どっから見ても田舎の訛りのある小娘だったろ?」
サーリーの口は悪いが、口調は柔らかい。初めて家に連れてきた時の、塩水を口から噴き出して驚き固まった表情のサマリを思い出し、クスッと笑う。
一緒にいたのは二日だけなのに、いろんな事があったと、サマリの姿を思い出す。戦闘の身のこなし、計算の速さ、客あしらいの上手さ、天真爛漫な笑顔。そして、時折見せる寂しそうな横顔。
自分が今まで世話を焼いてきたそこら辺にいる孤児達とは全く違っていた。
「だがな、儂が元気になったのは、女神様がきたその日からなんだぞ?」
バンダルだけでなく、実際サーリーも実感している。身体が軽い。全く疲れないのだ。ただ、サーリーは元気になった理由に何となく心当たりがあり、それはサマリ自身の力ではないと思うのだ。
「とにかくだな、あいつはもう出て行って、二度と会う事は無いんだ。神殿に行くとか言ってたからな」
家に着き、仕入れた織物を店先に置く。そのままサーリーは黙って台所に行ってしまった。
バンダルは息子の様子に肩をすくめたが、それ以上は何も言わなかった。自分の息子は、考え事悩みがある時はいつも台所に立て籠る。しばらくすると晴れた顔で何か料理を持って出て来る。こちらとしては美味しい料理を食べられるのだから文句は言わないが、それまでの時間が心配な事には変わりない。
この前三人で食べた食事が、やけに美味しかった事を思い出しながら、バンダルは開店の準備を始めた。身体が動くとはなんと素晴らしい事だろう。今の自分はやる気に満ち溢れている。
(そろそろあいつに店を継がせたいと思っていたが、ふむ。まだ自由にさせてやれそうだなぁ)
そう思いながら台所を眺めると、かまどには既に火が起こされ、サーリーの後ろ姿がみえる。
鍋の中身をグラグラと煮る音がバンダルの耳に心地良かった。
そして遅めの朝食を二人で取り終えると、サーリーはいつものように食堂の手伝いへ出かける。
「親父が元気でこっちも安心だよ。行ってくる」
珍しく殊勝な事を言うものだと、バンダルは大事な一人息子の背中を見送った。
続く