短編小説【玄関】


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カチャ・・・

そっと気を遣って玄関のドアを開けたつもりだったが、まだリビングの灯りは付いていた。

靴を脱ぐ途中で、リビングの奥から聞き慣れた姉貴の声が聞こえ、俺は慌てた。

「お帰り、淑夜」

音もなく近づいてきた飼い猫のミルクが、わざと俺の足の間をすり抜けて、奥の俺の部屋へ入っていく。

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姉貴がこの時間まで起きているなんて珍しい事だ。きっと俺を心配して待っていたに違いない。俺は、帰宅が遅くなった事を少し後悔した。リビングの自分の椅子にクラッチバッグを置き、上着を脱ぎ始めると、それを見ていた姉貴はそっと席を立ってキッチンへまわり、電気ポットのスイッチをいれた。カチャカチャとティーカップを取り出して、黙って紅茶を淹れ始める。

髪を無造作に束ねた後ろ姿を俺はぼんやり眺めた。

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訊きたい事は山程あるだろうに、何も言わない姉貴。いつも自分は二の次で、俺の世話ばかりしている。仕方がないから、自分から口を開かざるをえなかった。

「会ってきたよ。あいつに。自分でも思ったより冷静でいられた」

姉貴は、ティーポットから紅茶を注ぐと、こちらに振り向いて俺の前にそっとカップを置いた。

「そう・・・。ルリちゃんのご両親の様子はどうだった?」

姉貴は自分の分の紅茶も用意すると、俺の前の席に座った。いつも身綺麗にしている姉貴だったが、今日は心なしか顔が疲れて見えた。

「お義父さん達も冷静だったよ。自分達の希望が叶って、少しは気が収まったんじゃないかな。三年ぶりだったけど、あいつ何も変わってなかったよ。線が細くて、自信なさそうでさ。まぁ、真面目に生きてるんだろう」

俺は出された紅茶を一口飲んだ。いつもの安い紅茶だったけれど、姉貴が淹れると不思議に美味い。家に帰ってきたんだなと思えるのだ。

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「元々さ、俺も仕方ないかなって。恨んでもしょうがないだろうって、思っていたんだ。偶然が重なって起こった事故なんだ。あれはさ」

俺は姉貴の視線を感じながら、顔を見る事はできなかった。そのセリフは自分に言い聞かせているのだと、自分でもわかっていた。

「あいつもさ、突然の面会なんか断ったって良かったんだ。義務じゃないんだから。だから俺、別れ際に訊いたんだ。何故、申し出を受たんですかってさ」

二口目の紅茶は勢いよく飲んでしまって、危うく口の中を火傷しそうになった。

「そしたらあいつ『断る理由がありませんでした』って。殴れないだろ?なじったり、恨み言言ったり、出来ないじゃないか。誠意を見せられたらさ」

弁護士事務所の一部屋で、自分なりの葛藤があった事を正直に姉貴に打ち明けた。

「もう三年経ったのね。早いわね」

姉貴はそう言って細い眉を少し歪めた。

「私としては、もうあの方達には、淑夜を解放して欲しい」

義父と言っても、実際戸籍上は赤の他人だ。本当は親戚になったかもしれない赤の他人の為に、俺は今日も頼まれて面会の付き添いとして東京まで出掛けてきた。執行猶予期間が終わり、大事な娘の人生を奪った相手にどうしても一言釘を刺したかったのかもしれないが、いざ実際に会ってみると面会は弁護士立ち会いの元穏やかに終わった。

「ルリもさ、あの日コンビニにアイスなんて買いに寄るからさ」

暑い暑い真夏日だった。出先から職場へ帰る途中、俺の彼女はバイクの行き先を変えてフラッとコンビニに寄った。いつもと違う道、でも、見渡しの良い広い道路。

寄り道さえしなければ、あんなことにならなかったんじゃないか?口に出してはいけない疑問は、未だに胸の底から消えない。

その道路を走ってくる運送会社の軽トラック。中には道を間違えた事に気がつき、引き返さなければと焦る免許取り立ての若い運転手。お互い、いつもと違う行動をとった。本来なら邂逅する事のない二人だった。

アイスを食べ終えた彼女の運転するバイクが、再び道路で速度をあげ、少し左に寄せる軽トラックを追い越そうとしたその瞬間、ウインカーも無しにいきなり軽トラックは右へハンドルを切って車線を変更した。。。

バイクは軽トラックに激突し、そのまま人もバイクも荷台の下にすっぽりと嵌まり込んだ。不自然な形に身体を二つに折り畳んで。

多くの目撃者の話を寄せ集めた、これはあくまでも俺の想像に過ぎない。その想像をする度に、俺の胸からは血が流れた。

最初の一年は、このままルリの後を追おうと思っていた。けれど、ルリの両親に付き合って、書類を書いたり法廷や警察に付き添ったり、俺にはやる事が沢山あったのだ。何より、いつも心配そうに俺を見つめ、玄関から送り出してくれる姉貴を置いて、何処へも行けやしなかった。

そのうち俺は、姉貴の一種の儀式のようなものを明確に感じるようになった。どんなに忙しい朝も、必ず姉貴は俺を玄関で見送ってくれるようになった。いくら化粧が途中で可笑しな顔をしていても、前日姉弟喧嘩をして心に波風がたっていようとも、必ず、だ。

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婚約者を失って、半身をもがれた俺ではあったけれど、姉貴のおかげで、一年が経った頃には心の中の血は殆ど止まったように思えた。血が流れ出た後の、この胸に空いた空洞は流石に誰にも埋められなかったが、今はこれでいい。

「淑夜、お風呂沸いてるから」

姉貴は俺の脱ぎっぱなしの上着をつかみ、玄関へ掛けに行った。俺より頭一つ分も背の低い姉貴は、ハンガーをかけるにも少し背伸びをして踵を上げるのだ。

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「姉貴も、いい歳なんだから、俺の心配してないで早く嫁に行けば?彼氏と最近どーよ?」

俺が茶化すと、玄関から少し怒った声が帰ってくる。

「別にあんたの心配して結婚しないわけじゃないし!!」

ちょっとやばい話を振ってしまったのかと俺は焦った。姉貴は、今の彼氏と付き合って結構経つんじゃなかろうか。最近惚気話も聞かないなと思いを巡らせ、俺は気付いてしまった。俺の事を思って話をしないのだ。姉貴はそういうやつだった。失敗した。ごめん、姉貴。

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「私もわからないのよ。なんかもう、ね」

リビングに戻り、俺の飲み終わったカップを下げると、姉貴は小さな声でつぶやいた。

「愛情の反対は、無関心・・・なのよね」

いつもポジティブで、俺の生き方の目標である姉貴が、一層小さく見えるのはそのせいか。

「私、平気よ。この家があるし。淑夜がここを出て行っても、一人でやっていけるから。あ、そうねぇ、半年に一度くらい帰ってきて、電球変えたり、エアコンの上に掃除機かけてもらおうかな!」

ふざけた事を言う姉貴は、口とは裏腹に泣きそうな顔をしていた。俺に心配をかけまいと、心に溜め込んだものが沢山あったのだろう。気付いてしまったら、こんなのほっておけるかよ。平気なわけがない。

「何だよ、それ」

俺は呆れて、頬杖をついて姉貴の黒目がちな目を見た。

「そろそろ、潮時かもしれないわ」

姉貴は肩をすくめて、こわばった笑顔を作ると「先に寝るわね」と言ってテーブルに軽く手をつき立ち上がった。

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俺はまだ、ルリ以上に好きになれそうな子と出会っていない。正直、出会いたいとも思えない。姉貴が一人でいるのなら、このまま二人でのんびり暮らしていくのも良いかな、などと思って『シスコン』の文字が脳裏に浮かぶ。

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時が解決する事などあるのだろうか。解決したとして、その時の俺を今の自分は許せるのだろうか。答えなど、出るはずも無い。

玄関脇の部屋へ戻る姉貴の背中を見送って、俺も自分の部屋へ戻った。もう疲れて何をする気力もなく、ベッドに座り込む。

にゃぁ〜

構ってくれ、とミルクが膝に擦り寄って来る。

「なぁ、お前はいなくなるなよな」

そう呟いてみたが、わかっているのかいないのか、キョトンとした顔でミルクはその長いしっぽを大きく揺らした。

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        (終)

  🌹このお話はフィクションです🌹


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     🌹あとがきと解説🌹

流し読みをすると背景が理解できないまま終わるだろうと思い解説します。本当はじっくり読んで欲しいけどw

・・・主人公淑夜は、三年前に恋人のルリを事故で失います。その後、傷心のルリの両親に付き添って警察への事情聴取や法廷への送り迎えなど辛い事を手伝ってきました。加害者の青年の執行猶予が終わり、まだ娘を失った悲しみから立ち直れないルリの両親は、加害者に面談を申し込みます。淑夜も乞われて、法廷でしか見たことのない憎いはずの相手に面会をする事に。

この話は、その面会を終え帰宅した深夜の一場面。ずっと弟を見守ってきた姉とのやり取りです。

内容は暗いのですが、ちょっとした余韻を感じて貰えたら嬉しいです。


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